願成就院のご紹介
交通:韮山駅から徒歩15分
 願成就院は文治5年、頼朝の奥州攻めの成功を祈って北条時政が建立したといわれていますが、実際は、時政による、北条氏の 氏寺建立でした。義時、泰時によって堂宇が整備され荘大な寺になりました。文治3年青年期の運慶が造立した諸仏像は、日本 彫刻上代表作といわれている。
 願成就院には国宝級とされる運慶作の「不動明王」「昆沙門天立像」が所蔵されていることから、歴史的にも注目を浴る北条家ゆかりの寺院である。
 この有名な2体の他にも運慶作と伝えられる「阿弥陀如来座像」や不動明王の前に立つ二童子「制多迦童子像」もある。いずれも重要文化財である。
願成就院の「不動明王」「昆沙門天立像」の札には造像を依頼した人物の名が明記されている。鎌倉幕府の初代執権、北条時政である。
 源頼朝の挙兵を助けて権樹立に貢献したが、後に時政は頼朝の妻、政子の父として権力を握り敵対する武将を次々と滅ぼした。
 運慶は依頼主が時政のような東国武将だったことから、その作風はいずれも力感に満ち、骨太く分厚い体や、けわしい表情は、武将の理想を体現しているかのようだ。

 運慶について
運慶作あるいは運慶作と推測される仏像は現存では30体近くあるが、戦前までは十指に満たなかった。有名だったわりにには、作品の実体が霧に包まれた仏師だった。その霧を払い、不明だった点を解きほぐしていくきっかけとなったのが横須賀市浄楽寺とこの静岡県韮山町の仏像達であったとされる。

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