V
サインはV!
触れ愛
ビートルズのジョンレノンは「LOVE」の中で「Love is tuch、Tuch is Love]と歌う。まさに、愛することは触れ愛である。ふれあい、たわむれることから愛は始まる。
人はセックスを通じて、愛を深く学ぶ。だからセックスは、なにも若者だけのものでは無い。中高年、熟年こそ大いに触れあわなければならない。年令に関わらずそれぞれの形があるし、それはもっとおおらかに語り合わなければいけない。
人が人を愛することに年令は関係ない。セックスの行為だけが愛の形でもない事の事実だ。
大切なのは、触れあうことである。SEXも触れあうことの一つの愛情表現に過ぎないと考えれば、愛情表現はもっと可能性を持って広がりを持つだろう。
『愛だ恋だ』というのはもう卒業だよなどというのは、人生を達観したように装うポーズに過ぎないか、ただ疲れている切っているだけだ。
愛とか恋とかはそんなに簡単に分ってしまうほど薄っぺらなものでは無いのだ。
セックスができなくなった(立たなくなったから)もう「愛も恋も」卒業というほど身勝手なものでは無い。それに人間は性的な動物な動物なので、そうそう卒業は許されない。
性的願望が薄れてきたということは、脳も身体も老化してきたということのあらわれに過ぎない。人間の性的願望、快感願望などは前頭葉が受け持っているのだ。だからもう卒業などというのは、自分の脳も身体も老化して放棄しているのに過ぎないことになる。
しかし、はっきりしていることは、若いときに貧しいセックス体験しか無けれれば、学ぶべきことも少ないであろうことは、すべての経験から共通することを認めざるを得ないだろう。
ただ、豊かなセックスといっても回数を誇るものでは無い。快感とは量では無く、質で捉えるものなのだから...人生もまた、長さでは無く、その深さにあると。
動物と違い、人間のセックス表現はより深い愛情を得るための手段である。その手段はいろいろ多岐にわたって、研究されるべきである。快感の果てに愛があるとすれば、恥ずかしがっていても始まらない。大いに語ろう。
手を握ろう。肩を揉んでやろう。寒い冬は、抱き合って眠ろう。信頼はそこから生まれ、互いに安心感が生まれ、信頼感が芽生える。信頼する人に触れられる快感は何ものにも替え難い喜びとなるのだから。
東方健身術は触れ愛の技術である。互いの「気」に触れ合い、互いの「気」を交換しあい出合う気遣いがある。男と女の深い理解によって合体は精と化し、陰と陽のバランスは調和を保つのである。
そして、
気力・体力・精力を充実させてこそ、日々の生活も仕事もそしてセックスも、
豊で充実したものを手に入れることができると言うもの。
そしてなにより大切なのは、養生としての運動が欠かせない。
さらに、骨盤底筋、PC筋を鍛えることが早道なのだ。
積極的な身体とこころの休養といった意味でも大事なポイントなのだが、
この養生的運動理論に付いては下記の本店HP「東方健身術中心」にまかせることにする。
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